今月の法語

2020/05/01

いだかれてありとも

知らずおろかにも

われ反抗す

大いなるみ手に

九条武子

Wikipediaによると、九条武子さんとは、

 

西本願寺第21代法主明如(大谷光尊)の次女(母・藤子は光尊の側室紀州藩士族の子女)として京都で生まれる。義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設し、1911年明治44年)に籌子が死去した際には本部長に就任、同会運営の重責を果たした。

仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園京都女子大学)を設立、1923年大正12年)9月1日関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。

 

というお方です。和歌にも長け、

1928年(昭和3年)2月7日、震災復興事業での奔走の無理がたたり、敗血症を発症して東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町原宿の病院において、42歳で念仏のうちに往生した。法名は厳浄院釈尼鏡照[1]。宗門では、武子の命日を如月忌(きさらぎき)と呼んでいる。