三折ご本尊
ご本尊のある生活を
私たちは、日々の生活の中で、さまざまな出来事に苦しみ、悩み、そして迷っています。
時には、「なんで私だけがこんな目に遭わなければならないのか」と自分の思い通りにならないことに腹を立てたりします。
そんな私たちに、仏さまは
どんな出来事も自らを育ててくださる大切なご縁として受け止め
本当に尊いことを見失わずに生きてほしい
と願われているのです。
「ご本尊のある生活」とは、“あなたは何を尊いこととして生きていますか”と
常に呼びかけられていく生活がはじまることなのです。
お内仏って?
浄土真宗の門徒は、ご本尊を安置したお仏壇を「お内仏」と呼びならわしてきました。ご本尊・阿弥陀如来は、私たちを救おうとする色も形もない真実の“はたらき”であり、その“はたらき”をお内仏をとおしていただいてきたのが真宗門徒なのです。
お内仏を安置するということは、“私たちの人生にとって、本当に大切にしなければならない尊いことは何か”と、いつも問いかけてくださる場を賜るということなのです。
阿弥陀如来って?
「阿弥陀」とは、インドの言葉を音写したもので、「アミターユス」(無量のいのち)、「アミタ―バ」(無量の光)のふたつの意味を持っています。また「如来」とは、「私に真理がはたらく」ということを意味します。
木像や絵像の阿弥陀如来が、右手をあげ左手をさげて立っておられるそのお姿は、悩み苦しむ私たちを救おうという願いを表したもので、限りない智慧と慈悲を表しています。また背後にある後光・光背といわれる飾りは、阿弥陀如来の“はたらき”は全てのものを照らす光であることを表しています。
いつでも、どこでも、どんな人も、もらさず救いたいという阿弥陀如来の“はたらき”をかたちどったのが、木像や絵像のお姿なのです。
お念仏(南無阿弥陀仏)について
ご本尊の前で、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、合掌・礼拝するのは、自分の思いが叶うようにと願いごとをしたり、また、亡き人の慰霊鎮魂のためではありません。お念仏は、自分の思いを満たすための手段ではないのです。
「南無阿弥陀仏」とは、仏さま(真理に目覚めた方)からの、あなたへの呼びかけです。苦しい時や悲しい時、自分が嫌になった時、その苦しみや悲しみをごまかさずに、悩んでいる自分を大事に生きてほしい、「本当に尊いことに気づき生きていってほしい」という深くて大きな願いを持った、仏さまからのメッセージなのです。
その願いにふれ、その願いに応えて、私も「南無阿弥陀仏」と称えるのです。
アフターケア通信